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技術革新と自転車 その2

前回、20世紀に入り第一次大戦まで大まかにみてきました。

今回は20世紀初頭、自転車がロードバイクと実用車に別れた頃から見てゆきましょう。

必要から発展したわけではない

自転車のルーツであるペニーファージングは中産階級にとってちょっと危険な遊び道具でした。

自転車が誕生した時にはすでに蒸気機関があり鉄道、馬車、自動車など自転車より速いものが存在しています。

遠くへ行くなら馬車や機関車に乗れば良いのです。

そんな時代を背景に育ってきた自転車は必要から産まれたものではなかったのです。

初めから最速の座になかった自転車はある意味自由に発展する事ができました。

そして、工業化をバックボーンとしペニーファージングへと至ったのです。

ただ、楽しむ為の道具として育ってきました。

その考えは当然、セーフティ型自転車にも引き継がれます。

素材は工場生産とはいえ、一点一点が職人の手による自転車は高価です。

その為、まずは中産階級に広まります。

1900年ごろにはロードバイクとしての使われ方をする自転車があったというのはある種当然の流れでした。

ペニーファージングの看板

フリーホイールの誕生

今では当たり前のペダルを漕ぐ足を止めても前に進む技術はセーフティ自転車登場後の発明品です。

1896年にギアの中にラチェット機構を組み込んだフリーホイールが生まれます。

この時点でほぼ現在の自転車の原型ができたと言えるでしょう。

この発明のおかげで変速機が産まれました。

内装変速機の登場

自転車に乗っていると、上り坂がしんどい時やスピードがもっと欲しい時変速します。

そして、変速には変速機を用いる必要があります。

実はその変速機は内装変速が先で、のちに外装の変速機が誕生することになります。

最初の変速機は1902年にイギリスのラレー社によって作られたとされています。

内装変速はリアハブ内部に遊星ギアを有する変速機器です。

当時の技術では汚れの入り込まない変速機のほうが望まれていたのです。

現在のラレー社と当時のラレー社は同じですが中身は全然違います。
http://www.raleigh.jp/history.html

ステンレスと合金

工業化によって大量生産されるようになった鉄は次の段階へと進むこととなります。

最初は鉄含有率が50%以上、クロム含有率12%以上のステンレスが工場での生産へと漕ぎ着けました。

しかしながら、加工の難しいステンレスよりその後現れる合金の方が自転車には向いていました。

1906年、50%以上の鉄と少量のマンガンとモリブデン、クロムを混ぜた合金が発明されます。

1920年代にはマンガンを多く混ぜた高マンガン合金が工場で生産されることとなります。

その後、1930年代には次世代の合金としてクロムとモリブデンを混ぜたクロムモリブデン鋼が研究されてゆくこととなります。

このように、マンガンモリブデン鋼とクロムモリブデン鋼は

自転車の素材としての地位を築いてゆくこととなります。

マンガンモリブデン鋼で有名なレイノルズ531は1934年に生まれています。

※1935年のクロムモリブデン鋼の関する論文
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1915/21/5/21_5_289/_pdf

※現在のステンレスは鉄(Fe)が50%以上、クロム(Cr)が10,5%以上、炭素(C)が1,2%以下のものを示す
※この記事では合金は鉄(Fe)が50%以上、少量の多元素を含む鋼材として区別している
※広義の意味ではステンレスも合金の一種となる

ロードバイク

1900年ごろにはすでにロードバイクのような使い方をされていたと言われています。

この頃、トラックで使用するレース用の自転車にはブレーキをつけてはいけないということで
トラックレーサー(ピストバイク)と

ブレーキをつけて距離を走るロードバイクとに分かれました。

まだフレーム素材は合金ではなく鉄のパイプを使用しています。

また、当初はドロップハンドルもなくセミドロップハンドルを使用していました。

ドロップハンドルの登場は1910年頃と言われています。

では、この頃のロードバイクにはフリーホイールと変速機は付いていたのでしょうか?

外装変速機が使われ出すのは随分あと!

異なる路面状況に対応するためにフリップフロップハブと呼ばれるものが誕生します。

これはリアハブの左右にスプロケットを取り付けるネジがきられていました。

左右でギア比の異なるコグをとりつけ、ホイールの左右を入れ替えることによって変速します。

左右にねじ切りがされている

ある種、これがロードバイクの最初の変則システムと言えるのかもしれませんね。

このシステムは1910年ごろにはレースでも使用されるようになります。

しかしこの方法では問題がありました。

ギア比を変えるために毎回ライダーは降車し、ホイールを入れ替えねばならなかったのです。

ウィングナット(蝶ナット)と呼ばれるホイール固定用のナットを手で回し交換する必要がありました。

これが、後にカンパニョーロを産む原因となりました。

フリーホイールの採用

1914年フリーホイールがロードバイクで使用されるようになりました。

これにより、ついにライダーは走行中に脚をとめることが可能となったのです。

ヴィットリアの変則システム

1924年頃、ヴィットリアによって一つの変則システムが生み出されます。

これは、BB部に取り付けられたロッドを使用しチェーンラインを変えることによって変則するという画期的なシステムでした。

これにより、ついにライダーは降車せずに変則する手段を手にしたのです。

しかしながら、この変速機がツールドフランスで使用されることはありませんでした。

Vittoriaの変速機 テンションを緩めギアチェンジを行う

これは、ツールのプロデューサーの思想が影響していました。

結局変速機が解禁されるのはプロデューサーが退任する1937年までかかりました。

フレームに新素材が使わる!

1930年台、フレーム素材としてついにクロモリやレイノルズ531が使われるようになります。

1931年の広告 新素材としてクロモリを宣伝している

この広告によるとクロモリの方がマンガンモリブデンより先に市販化されたようですね。

レイノルズ531、マンガンモリブデンは1936年に販売開始されています。

この後、第二次世界大戦へとむかって行きますがもう少しで現在のロードバイクのようなシステムになります。

それはまた今度の記事で書くかもしれません。

今回はここで力尽きましたのでここまでです。

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