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技術革新と自転車 その1

自転車の発展は技術革新とともにあったと言っても過言ではありません。

工業化に伴う鉄の大量生産と技術革新がなかったら自転車は存在しませんでした。

しかしながら、自転車には奇特な点があります。

この世に生み出されたその時から最速の乗り物でもなく、大量の物資を運べたわけでもありません。

それでも現代にまで残り今なお愛されています。

今回はそのことについて考察してみましょう。

ざっくり自転車の歴史

自転車の原点とも言えるドライジーネ

1800年代中頃、一人のドイツ人によって一つの発明がなされました。

これは地面を直接蹴って進む自転車の原型とも言える発明でした。

その後1870年ごろ、加硫ゴムの生産と鉄鋼業の進化によりパイプの成型技術が確立します。

これにより軽量化が可能となりました。

いままで実現できなかったタイヤの大径化が可能となったのです。

ペニーファージングと呼ばれたその自転車は一時代を築きました。

1900年ごろ、チェーンにより後輪に力を伝え走行する自転車が普及し始めます。

セーフティと呼ばれるそれは、それまでのペニーファージングと入れ替えわる形で広まってゆきます。

このセーフティこそ現在の自転車のルーツといえます。

その後、リムの精度が上がり空気の入ったチューブを使用したタイヤが生まれます。

ブレーキもリムブレーキとなり、ウィングナットからクイックレリーズへと変わります

固定ギアからラチェット機構へ、そして変速機の誕生で自転車は劇的な進化を遂げます。

そしてある意味1960年代にはロードバイクは一つの完成へと至りました。

しかしながら、今なお進化は続いています。

ペニーファージングの誕生

1880年後半 アメリカのペニーファージングの看板 アメリカではハイホイールと呼ばれた

1850年代すでに蒸気機関車はアメリカ、イギリス、ドイツ等では広く普及していました。

しかしまだこの年代の鉄工業は錬鉄を大量生産するものでした。

そのためパイプはまだ職人による手作業の時代でした。

この時はまだ、自転車は木製で地面を蹴って前進する変わった発明でしかありません。

それが変わったのは1870年ごろにワイヤースポークや鋼管を生産できるようになった頃です。

工場によってワイヤーや、鋼管が大量生産可能となった事

タイヤに加硫ゴムを採用した事などが相まって、大きなホイールを軽く作る事ができるようになったのです。

この技術革新がなければ自転車はそのまま消え去っていたかもしれません。

そして、1880年ごろにはペニーファージングは周知され

アメリカやイギリスやフランス、ドイツなどで大人気となりました。

労働者の敵

Armut im Vormärz(1840/Theodor Hosemann画/Wikimedia commons)©Public Domain

技術の累積によってついに誕生したペニーファージングですが、

いかに大量生産されたとはいうものの高価な乗り物でした。

その為、購入できる存在も限られていました。

其の購入者の殆どが、中流階級以上の存在です。

早く走るために巨大化した自転車は交通の妨げとなりました。

特に労働者階級からは目の敵にされ、倒かされたり、進路を邪魔されたりなどもありました。

そのような背景から、集団で走行し身を守るサイクリングチームが生まれました。

集団でのツーリングや、レースなどを行うようになります。

この当時はまだお金持ちの乗り物であり、格差の象徴でもあったのです。

ペニーファージングの最期

そのように中産階級に愛されたペニーファージングですが

1890年頃をピークに生産量を減らしてゆきます。

しかし、その過程では大切な発明もありました。

ハブシャフトにボールベアリングを使用する技術です。

この技術は1890年頃から登場するセーフティ型自転車でも採用されました。

しかし、なぜセーフティ型自転車と呼ばれるのでしょうか?

その理由は簡単で、ペニーファージングが危険だったからです。

乗り降りには、フレームについたステップを使用せなばならず咄嗟の対応が難しかったのです。

そして、1900年頃にはペニーファージングは消えてゆきました。

しかしながらかの文豪、夏目漱石は渡英時にこのペニーファージングに乗っています。

自転車日記にて、鬱となった彼はおばあさんに勧められ中古で自転車を購入しています。

どうも記述を読むと、この自転車はペニーファージングのようなのです。

消えゆく自転車に乗った彼は一体何を思ったのでしょうか?

セーフティ自転車の隆盛

1890年頃、初期のセーフティ型自転車 この後空気の入ったタイヤを装備するようになる

ペニーファージングと入れ替わるように登場したセーフティ自転車は瞬く間に普及してゆきました。

1889年に空気入りのタイヤチューブがイギリスで登場すると

すぐさまそれを採用し乗り心地と走行性能を手に入れました。

この事がセーフティ型自転車の普及に一役買ったのは間違いありません。

ブレーキのシステムも確立し、初期はタイヤにヘラのようなものを押し当てて止まっていましたが

のちにリムブレーキのロッド式に変わります。

また、フレーム形状はスタッガート型に近い形状の自転車はもちろん

あの馴染み深いダイヤモンドフレームも1900年頃には存在していました。

大量生産の時代

英国式ロードスター号 労働者階級の足として愛された

1920年代には自転車は工場での大量生産が可能となりました。

それまでの自転車は職人によるいわばオーダーメイドのようなものでした。

しかし、この大量生産によって高価ではあるものの労働者でも購入が可能となったのです。

その後長らく労働者の移動手段として長らく使用される事となります。

RALEIGHなどもこの一つで、創業は1887年とまさにセーフティ自転車の登場とともに育ってきた会社です。

ロードバイク

ロードバイクは1900年ごろにはあったと言われています。

1903年には第一回ツール・ド・フランスが行われています。

しかしながら、専門の自転車があったわけではありません。

初期のロードレースはダイヤモンドフレームにセミドロップハンドルを使用し

レースをしているだけだったと言われています。

そしてついに1910年ごろにドロップハンドルが登場しました。

また、同じ頃ダブルコグが一般的になり、山岳コースが増える結果となり

レースは加熱してゆく事となります。

次回はフリーホイールやウィングナット、変速機、合金あたりを書きます

まとめ

1840年ごろ、産業革命により鉄の大量生産が可能になる

1870年頃、精錬技術の向上でワイヤーの工場生産が可能になる

同、パイプ成型技術の向上で肉薄の鋼管が工場生産できるようになる

同、加硫ゴムを使用したタイヤが販売される

同、ペニーファージングが販売される

1885年頃、セーフティ型自転車が販売される。

1887年、Raleigh創業

1889年、ダンロップから空気入りのタイヤが販売される

同、フリーホイールが発明される

1900年頃、セーフティ自転車が不動の地位を得る

同、ロードバイクのような使用のされ方をするようになる

1903年、第一回ツールドフランス開催

1910年頃、ドロップハンドルの登場 以降自転車の細分化が進む

1914年、第一次世界大戦勃発

1920年頃、イギリスで自転車の工場生産化

1930年頃、レイノルズ531の合金パイプが発明される

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